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REY AUDIO / SHOZO KINOSHITAの歩み

キーワード BART LOCANTHI, TOM HIDLEY, VERTICAL MONITOR, EAGLES

 レイオーディオの主宰者木下正三をご紹介します。提唱する芸術オーディオの世界や、レイオーディオを通じて提供される作品について理解の一助になればと思います。
1946年愛知県大府(おおぶ)に生まれた木下は5歳頃から鉱石ラジオ作りに魅せられ、以来半世紀にわたり、音の世界の感動とともに現在に至っています。
「携わるからには極める」生来の性格がついに生み出したのがパイオニア時代に開発したTAD TD-4001コンプレッションドライバー(1979)です。木下の考えには意外なほどマニアックなところがありません。むしろ誰にでもわかってもらえるものこそ本物である、と考えており、TD-4001の開発に当たっても、自身で実用化に執念を燃やしてきたベリリウムを生かすにあたり、あまりわからない超高域の再生に振り向けるのではなく、誰にでもわかる中音域の「圧倒的なエネルギー再生」にかけることで、誰も知らなかった感激の音世界が現れるとの信念から発想したものです。
 

プロフェッショナルオーディオへの進出
TADの開発はUSAプロオーディオ界の第一人者、Bart Locanthi(1919-1994)との共同作業によって行われました。Bart Locanthiは1950年ころに既にコンピューターによるスピーカーのシミュレーション技術を確立するなど、スピーカー、アンプ、ディジタルオーディオの広い分野で優れた業績を残し、その後AES(Audio Engineering Society)会長を務めたオーディオトップエンジニアの一人です。木下とLocanthiはTADをプロオーディオの本場アメリカに導入しその真価を問うたところ、この衝撃は瞬く間に激震となり、スタジオにコンサートにと広まったのです。評判はやがて日本に逆流し、うわさを聞いてアメリカに買いにいった関係者も多かったと聞きます。もちろんアメリカ製と信じてのことですが。
最初の実績はウェストコーストの大物、イーグルス、グレートフルデッド、ニールヤングらのコンサートでした。

(1)1979年より行われた最後のイーグルスツアーにおいて使用されたサウンドシステム

TAD TD-4001+TL1601

(1)のイーグルスシステムは木下のプランに基づきノースウエストサウンドによって製作されたもので、特に30Hz, 30mにおいて130dBという驚異的な超低域再生はアメリカのコンサート界に衝撃を与え、超低域の重要性を認識させることになりました。まさにその後のトレンドを作ったシステムといえるでしょう。
一方スタジオモニターは3~4way+マルチアンプ+EQという複雑な方向へ向かっていたのですが、TADユニットの高性能によってシンプルな2wayのよさが再認識されました。TADの出現によって1979年頃、Electric Lady Studio(NY)、KenDun Studio(CA)など多くのスタジオで3wayから2wayに切り替えられました。しかもこのうごきはその後のレイオーディオに決定的な影響をもたらしたTom Hidley(1931〜)との出会いでもありました。

レイオーディオ設立
1984年、より自由で創造的な活動を志して木下はレイオーディオを設立しました。同時にTom Hidleyとの提携関係を構築し、彼の設計するスタジオにはKinoshita Monitorが設置されていきました。Tom Hidleyは世界中のエンジニアの憧れの的。 これまでに600以上のスタジオを作っただけでなく、サウンドトラップの発明者としても高名です。ジャズ プレーヤー、レコーディングエンジニアとして活躍後、スタジオモニターとスタジオ設計の会社WestLake Audioを創立。その後EastLake Audioを経て現在Tom Hidley Designを主宰. 木下と出会ってからは自身のモニタースピーカー作りをやめてスタジオ設計に専念するようになりました。それほどまでに木下のスピーカー技術を信頼しているのです。
Kinoshita Monitorは、特に海外ではTom Hidleyによって最高の環境が提供されるために常に高い評価を伴い、そのステータス性はスタジオエンジニアやミュージシャンによって保証され、伝説にまでなっています。今では21カ国もの多くの国のスタジオで活躍しています。 

スタジオ調整中の木下(右)とTom Hidley(中央)

Masterfonics
Nashville,TN

レイオーディオの創業時は丁度スタジオディジタル化の時代に重なり、スタジオの新築、改装の波が押し寄せました。レイオーディオも次々とモニターの高性能化を達成していき、バーティカルツィン(1984)の発明に続き、ついには20Hz Monitor RM-7V(1986、1号機はスタジオ・パン/Yokohama)の実用化によって不動の評価を獲得したのです。
その頃、日本においてもKinoshita Monitorは新規採用の8割にも達する勢いで広まっていきました。
同時にスタジオアコースティックが問題としてクローズアップされることになります。日本では様々な音響設計のなかで使われることが多く、必ずしも満足な結果ばかりではなかったのです。木下は建築音響についても独自の研究に加え、普段から音を目で見るがごとく活動してきた成果を生かし、スタジオや、リスニングルームの音響設計にも取り組みました。なかでも一口坂スタジオは世界でも指折りの音質とともに、美しいスタジオとして知られています。

よい音はオーディオマニアに独占させておいてよいものではありません。音楽が生まれ出るその時々の感動、魂に接したときの無我、無限。オーディオは誰にとってもわかりやすく、魅力に満ちあふれた芸術なのです

よい音の素晴らしさを多くの人にもっと知ってほしい、との気持ちから木下はコンサート用のシステムにも力を注いできました。そのはじまりはなんとイーグルス. 1979武道館コンサートはその場にいた誰もが昨日のことのように熱っぽく語り出すほど新鮮なサウンドでした。これがプロオーディオにおけるTADの、そして木下の日本デビューです。以後1984オフコース武道館10日間コンサート、1985オフコース代々木競技場、冨田勲-長岡(1986)、ライブアンダーザスカイ(1987-88)、ジャパンスプラッシュ(1987-92)、福岡ドームオープニング(1993)、チャゲ&飛鳥・横浜アリーナ(1993)といったビッグコンサートに取り組む一方、美空ひばり、島倉千代子、中島みゆき、プリンセスプリンセスなど多くのツアーシステムにも携わってきました。

Select Live Under the Sky '87,88

日本ではじめての野外フライングシステム

Japansplash '92

10万人規模のビッグコンサートシステム

スピーカーの比類ない音質はついに専用アンプの開発を決意させることになります。木下はフランスのJMFと協同で、パワーアンプを開発し、1990年からKINOSHITA-JMFのブランドで導入しました。スピーカーを知り尽くした木下がスピーカーのために製作したアンプは自在のドライブ力を誇っています。

ホームオーディオ、そしてカーオーディオへ
TAD, REY AUDIOを通じて木下はプロフェッショナルオーディオの分野で活躍してきたのですが、かといってプロフェッショナルオーディオを特別な音質のものと考えたわけではありません。むしろ最も自然な、そして表現の豊かな音質はどのような用途にあっても常に最高の結果を生ずると考え、ひたすらよい音を追求してきた結果が、多くのプロフェッショナルの支持を得てきたといえます。
したがって熱心な音楽愛好家達が木下の作品を熱望したとしても当然の成り行きでした。当初の大型モニターにくわえ、ニアフィールドモニターKM1Vが発表されると大いに歓迎されたのです。一方パワーアンプに加えてドライバンプMSP-1は究極のプリアンプとして製作され、音楽ファンの憧れとなっています。
さらに熱心なカーオーディオファンの要望に応えて、Kinoshita-Davisカーオーディオスピーカーを開発しました。

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